DXと教育

官民あげて、DXが大流行り。どこの組織も、取り組んでいるが依然として抽象的な概念のまま。それもそのはず、DXの解答は個別、無限なのだから、事例はでてくるけど、全てを解決する製品、ソリューション、いやいやメソドロジーさえも、曖昧なままに突き進むと思える。
DXの本質は、人間にあると考えている。デジタルデータやテクノロジーを使いのなすのも人間、いくらAIを活用してもやはり人間の統治下にあるはずである。異論もあるかと思うけど、それほど的外れではない定義、解釈に違いない。
テクノロジーについていけない人間そのものがボトルネックだと仮定すれば、DXを推進できる人材をどう確保するか、育成するかが大きな問題。多くの関係者はそう感じ、人材にも焦点を当てているが、あまりうまくいっているという話は聞かない。
そう簡単にDXに長けた人材がいるわけでもないし、育成も容易ではない。何故だろうか? X、すなわちトランフォメーション(変革)の体験もなく、理解もできない人に、Dというデータや技術を教えてもその効果が限定的だからである。事実、企業や組織の教育はTraining,Teachingに偏重し、Educationの要素はわずかである。世にいる人は、すでにEducationを受けているという前提だろう。わざわざ、今更Educationを施すことも難しい、とでも思っているのだろうか。
Training,Teachingを提供し、リスキリングだのと言っても、Transformationと向き合えるEducationの薫陶を受けていないと、片手落ち、不完全となる。画一的な教育、新卒一括採用、終身雇用をいまだに保持し、移民を受け入れず、ダイバーシティとは程遠い日本人材は、圧倒的に不利である。部活や体育会文化では乗り切れない時代なのである。
経産省も懸命に旗を振って「DX認定制度」なるものまで用意しいているけど、課題を矮小化、形式化しているようにしか見えない。異文化に触れながら成長する、自分に好きな仕事につく、嫌なら新天地を求める、世界中を旅する、失敗を尊重する、そんな世界の人たちに伍して、このような政策がDXの手本となれるような気はしない。むしろ、変革を阻害することとだろう。(以下、続編へ)