いつになったらマスクを外すのかい?

相変わらず日本人はマスクを外さない。最近のある調査によれば90%はいまだに着用しているとの結果である。電車の中では、100%に近い感じで屋外でも70%程度の人は外していない。一方、レストランや居酒屋では、外しっぱなしで大声で歓談しているのが普通になった。本当に感染を恐れているなら、このようなアンバランスな光景にはならないと思う。
ここ最近復活中の外国旅行客は、ほとんどマスクをしていない。昨年夏にヨーロッパで滞在した際に、当地の人ほとんどは着用していなかったのだから、今さらマスクに戻らないだろう。彼ら、彼女たちから見て、日本の光景は不思議に思うに違いない。私もすごく違和感を感じる。最近は違和感を通り越して憤りすら感じる。
特に若者、子供のマスク着用は、直近で体調を損ねるリスクの何千、何万倍のコミュニュケーション発達障害のリスク要因になる。しかも、この障害は果たすれば一生ついてまわる。目の不自由な方には申し訳ないが、視覚がコミュニュケーションに大きな役割を果たしていることに間違いはない。みんながマスクをした世の中で育った子供たちにとっては、担任の教師や同級生の顔も思い出せない不幸な状況になりかねない。大人にとっても、厄介な問題だ。強盗も詐欺の活躍の場を提供することになっている。役所や医療機関は感染リスクばかりを強調するが、コミュニュケーション発達阻害や犯罪の土壌になる警告はしない。おかしなことだ。
昔、アメリカに住んでいた頃、よく子供が通う現地校に顔を出したが、どの教室にも確か16通りの表情をする少年のポスターが貼ってあった。日本で言えば、地図や50音のポスターみたいな感じで貼ってあった。日本の表情といえば、喜怒哀楽の4通りに要約されるが、彼の地ではConfused(混乱している)、 Enbarassed(恥ずかしい)、Scared(怖がる)等々、さまざまなバリエーションがあった。4通りと16通りの表情は、グローバル化の時代どちらがコミュニュケーションいいか?答えは言うまでもない。言葉が通じなければ、表情は代替となる。言葉が通じても、表情によってもっと意思や感情を表現できる。
そして今や、4対16ではなく、1対16である。令和の「のっぺらぼう」は将来に禍根を残す。