一枚の写真 

お気に入りの写真の一枚である。東京スカイツリーから富士山を写したものである。写真のタイトルは、夕暮れの富士、夕景の東京、、とかになるのであろう。確かにそうだ。
実はこの空は日本であって日本でない。日本の領空であるけど、アメリカ軍が管制業務を行っている、日本が自由に飛べない空域が大部分なのである。新潟県から東京西部、伊豆半島、長野県まで1都9県に広がり、12,000フィート(約3,700m)から最高23,000フィート(約7,000m)の高度に上る空域とのことである。羽田空港と伊丹や福岡との間の空路が東京湾を経由するのは、この空域を回避するためである。
現在、防衛力の強化、その財源についてはいろいろ議論がなされている。一市民としては、当然のことながら、平和を願う一方、負担は避けたいと思っている。それにしても、今回、その唐突感は否めない。なぜなのか?要は、有事であることを忘れてしまった、もしくは忘れさせられたいたことに、今更思い出したからに他ならない。政府の中枢機関や日本を代表する企業、学校が立地する首都圏の多くが、実は日本だけでは守れないと推察する。戦闘が始まらないとわからないことを多いが、有事と考えた方が良さそうだ。そういう見方をすれば、実は、江戸時代後期から、日本は有事はずっと有事の中にあるのだ。確かに戦時ではなく、戦闘も起こっていない。でも、この状況はそもそも平時ではないと考える方が的を得ている感じがする。軍事費増強の議論の前に、江戸時代後期からの歴史を振り返ることが賢いアプローチのような気がする。
東京の地下に巨大シェルターが存在する、北海道のゴルフ場の橋は戦車が通れる規格になっている、等々の都市伝説もあながち全くの嘘ではないかもしれないし。
ともかくも、日本が敗戦国であること、国連が戦勝国で構築されたことは、忘れらてはならない歴史の事実である。