体験は重要だ〜DXと教育の続編

異文化に触れながら成長する、自分に好きな仕事につく、嫌なら新天地を求める、世界中を旅する、失敗を尊重する、、、、日本人には苦手なことばかりである。なぜ、こうなるのか?やはり、教育や根本的な考え方に問題があると言える。そうなった背景には、日本の歴史、文化、風土、国民性によるものが大きそうだが。
「島国だから」「鎖国していたから」「敗戦国だから」等々、異文化や外国語への苦手意識を今更、言い訳にしても何も始まらない。教師のレベルアップ、英語教育の改善といった、学校や教室の中の小手先の施策より、ゲームチェンジした方が手取り早い。簡単に言えば、体験の機会を増やすことである。野山への遠足でも、街歩きでもいい。とにかく、外へ出ればいい。狭い世界ではわからない、指導者や仲間のいつもとは違った姿が見えたりする。いつもは威張っている教師が実は単なる内弁慶であったり、普段はつまらなそうにしている友人が活発になったりと、環境が人を変えることを実感できる。
商談を上手く運ぶには、対面ではなく、横並びとなって、プレゼンの画面や製品を同じ方向から見るのがいい、と言われている。こういった体験もこれに似ている。指導者や仲間と一緒になって、新たな興味に向かいあい。新たな発見をする。トラブルだって、いい体験となる。
残念ながら、こういう発想に関しては、必ず、安全、指導者の負担が問題だと指摘される。個人的には体験にはリスクはつきものだと思うが、コンサバティブな方々へは、博物館巡りを推奨したい。知的好奇心を呼び起こすには最適な場所で、安全、かつ、季節も選ばない。英国のように国立博物館の入場等を、全て無料すればいい。訳のわからないバラマキをやるよりよっぽどいい。加えて、この手の遠足の交通費も無償にすればいい。チャーター便を提供しないかぎり、ほとんど負担にはならないだろう。
父兄や地域の学生にもボランティア参加を案内しやすい。また、無料によって海外からの旅行者含め、多くの多種多様な人々も来やすくなる。その結果、ダイバーシティを安全に体験する絶好の機会となる。
ちょっとした工夫で、体験の機会を増やすことはできる。体験の機会を増やすことによって、人間は大きく成長出来る。子供たちだけではない。年をとっても同じである。教育には、教室や部活といった学校、学習塾、家庭、会社といった閉じられた世界で行うだけでは不十分である。