終活を考える

人材紹介業に関わるものが、「就活」ではなく「終活」を語るのも変な話かもしれない。
しかしながら、昨日の英国エリザベス女王の荘厳かつ優美な葬儀を見れば、いかに終活が大切なプロセスかということをあらためて感じた。昨晩はBBCのYouTubeライブでずっと見ていたが、実に緻密に安全を担保しながら、見事なまでに情報を公開し、その意義を示していた。立憲君主制の是非が議論されることも多い昨今であるが、この国にはその美徳が伝統とした息づいている感じはする。昨日の葬儀はそれを象徴している。国内、市民は整然といしていた。何日も続いた深夜の行列、当日のお見送り、ロンドン市民総出のような混雑でも大きな混乱が生じたという話は聞かない。別に特段の英国贔屓ではないけど、実に清々しく、日本人という外国人であっても一人の人として誇らしく感じた。当日、Hyde Park脇から霊柩車を見送った、英国留学中の娘の話を聞いても、混乱や恐怖を全く感じなかったとのことである。夏のヒースローやガトウィックのカオスとは大違い。
整然とした葬儀の執行は何よりも女王へのリスペクトが最大の要因であるが、事前準備の周到さは秀逸である。結婚式、創業パーティ、誕生祝い等々であれば、躊躇なく思いを巡らせるだろうが、死のイベントはそうは行かない。当事者の「終活」への意識、関係する人全てへの思いやりが必要であるから、容易ではない。
どれ位の準備期間やどのような議論がなされたのかについては知るよしもないが、相当なものであったであろう。敬服に値する。
人間は必ず死ぬ。しかしながら、「終活」と正面から向き合っている人は少ない。さらにリーダーともなれば、その範囲は会社や組織までに及ぶ。自身の死を前提とする話は、心地よいものではないだろうが、飛ぶ鳥跡を濁さず、
といきたいものだ。
合掌